動物愛護の過去・現在・未来
ー動物の権利を考えるー
平成10年11月1日(日)に東京大学で開催されたペット法学会シンポでの中川志郎さん(茨城県自然史博物館館長)の講演より抜粋させて頂きます。

動物というものはヒトとの関わりで見てみると、大きく2つのグループに分かれるような気がします。1つのグループは
人間とともに人間の生態系の中で生きている動物達、もう1つのグループは人間の生態系から離れて、自然の生態系の中で生きている動物達です。人間生態系といわれるような人間を中心とした生態系の中で生きている動物にはペット、産業動物、そして動物園動物があります。それと離れた所に野生動物といわれる自然生態系の中の動物があります。では人間生態系の中で、私達が直接に接している動物は何処から来たのでしょうか。
ずっと考えていくと私達が1万年前、食料採集段階の後、作物というものを植物の中から取り出し、家畜というものを野生動物の中から取り出し、それをヒトの生態系の中に拉致してきて、そこで人間に最も都合のいいような作物に仕上げ、家畜に仕上げてきた。
動物育種学者の先生の著書の中に「人間が作った動物達」という本があります。動物や植物は人間が創れません。だけど家畜や作物は神が創った(?)、動物種が、あるいは進化が作ったそのままのものではないのです。
人間が自然生態系から離脱して人間中心の世界を作ってわずかに1万年ですが、その間にイヌにはどのくらいの品種ができたのでしょうか。ブタには、ウシにはどのくらいの品種ができたのでしょうか。まさに人間が作った動物。そういうものと私達は一緒に暮らしてきた。ウシで5,000~8,000年、ヒツジで1万年ぐらいの長い時間を彼らと一緒に生活してきた。嘗てノアの箱船に動物達が乗って人間と一緒に生き延びたという話がありますが、
人間生態系の中に人間が一緒に乗ってもらった動物達には、私達がある意味でその存在そのものについて責を負わなければならないと思うのです。
野生から人間の作っているシステムの中に入ってきた動物が人間のためだけにある時代は終わったと思います。
人間が人間の住みやすいこの環境の中に動物達を連れてきたのですから、その動物達も住み易い、生きられる、生活のできる環境を与えることが、私達には責務として課されているのだろうというふうに私は思うのです。その観点に立って見る限り、今の法整備、都市機能、家屋構造はこのままでいいのでしょうか。ヒトと動物が一緒に住むために公園はこうあるべきだ、住宅はこうあるべきだ、学校はこうあるべきだという発想が、今の私達のどこにあるのでしょうか。
私達は一生懸命子供達の生活を考え、老人の生活を考え、権利を考えています。しかし、それと同じレベルで
自然生態系の中から私達の人間生態系の中に引っぱり込んできた動物達に対しても考える責任はあるはずだと思うのです。
私の専門としてきた動物園学にも人間のために野生動物を展示する、珍しい動物を見せるということは確かにありました。でも、それだけの時代はとっくに終わり、今は Environmental enrichment が求められています。動物達が野生の状態と同じように心理的にも物理的にも生きられるということを追求しない動物施設はダメになりつつあります。それは誰かに怒られるとか、誰かに指摘されるとかいう問題ではなく、ヒトが動物と一緒に生きる基盤として、それが必要なんだという。そういう考え方が出てきていると思うのです。
いろいろな意味で、今の日本の動物に対する基本的な考え方はこの程度だという話もありました。でも日本のとかヨーロッパのとかいうレベルではなく、ヒト対動物、今の動物達にとって私達は何なのかといった観点で考えてみる必要があると思うのです。
文責 秋田大学医学部 松田幸久
ペット法学会シンポジュウムより