先日、迷子犬のチラシを貼ってもらおうと交番に向かいました。
駐在員さんは「早く見つかるといいね」と親切に応じてくれ、ご自身も勤務中に保護した犬を2匹飼っているという温かい話もしてくださいました。
その延長で、次のようなお話がありました。
「この辺は野良犬が多いんだよ。通りがかった人が「迷子です」と犬を交番に連れてくるんだけれど、ここでも面倒見切れないから動物指導センターに電話するんだよ。そうすると3日から1週間くらいで取りに来てくれるから。薬殺されるんだよね、可哀想だよね。でもしょうがないね。
10年前に犬が交番の前に捨てられててね、所長が「殺されたらかわいそうだから山に捨てて来い」って言うんだよ、でもずいぶんと私に懐いてね、うちで飼うことにしたの。」
このお話、ほのぼのしているようで、とんでもないことが2つ語られています。

まず1つめ。動物指導センターでは通常、「薬殺」はされません。二酸化炭素を注入された部屋で、呼吸ができず苦しみ抜いて死に至ります。壁にはもがき苦しむ爪あとが残っているそうですよと話しました。
「そうなんだ、かわいそうだね、でも国が決めたことだからそれが一番いいんでしょ、しょうがないね」との回答でした。
2つめは「山に捨てて来い」は犯罪です。警官自らが発した言葉とは思えません。
「遺棄は犯罪ですよね?」と言った私に対し、「だって、飼うにしたって限界があるでしょう、飼うからには家族同様大事にしたいし、ワクチンやら散歩やらお金も世話もちゃんとやりたいから、そうたくさんは飼えないでしょ。その辺に放っておけば、だれかが助けてくれるかもしれないでしょっ!」との回答。

法律とはむなしいもので、よほど厳しいものでない限り意識することはなく、人間みな幼少のときから学習させられた文化(習性・モラル)に寄り添って生きているのだとつくづく感じました。
自ら培ってきたことが正しく、ごく普通の考え方だと信じて疑いません。
これは誰にでも共通する部分で、よほどの衝撃がない限り、考え方が変わることは稀でしょう。
私の近所でも、「あその家の犬はね、家の中でうるさくてしょうがないから外に出されちゃったの、それでも吠えてばかりでうるさいから山に捨ててきたそうだよ」という話を聞きました。
結局、日本にはまだまだこのような地域・人が存在するのだと思うと、がっかりでなりません。
「日本の犬だけには生まれ変わりたくない!」これはマルコ・ブルーノさんの書籍「マルコの東方犬聞録」のサブタイトルです。河川敷を散歩したとき捨て犬・野良犬、つまり徘徊犬が多いことに驚いたそうです。
「思い通りにならないから捨てる」「なんとかひとりで生きていってくれ」という考えはどうしたら変わるのでしょう。
たとえば、両親、兄弟、お友だちとこんな話をしてみてはどうでしょうか。

山に捨てられた犬や猫がその後どうなるのか?
人に飼われていた犬や猫に、狩りができるだろうか?
知らない土地に放され、車にはねられないだろうか?
何も食べるものがなかったらどうなるだろうか?
寒さをしのぐ場所がなかったらどうなるのかな?
生き抜く可能性はあるのかな・・・?
そう考えれば「捨てる」ことがいかに残酷かが見えてくると思います。
せめてこのブログを読んでくださっている皆様の隣人に「捨てる」意識を持つ人がいませんように。
つい先ほどから、つくば地域にこの冬初めての雪が降り出しました。
この寒空の下、人間の都合で捨てられ飢えや寒さで命を落とすコがいませんように。