加藤名人の猫への餌やり禁止訴訟判決についての雑感
2010年7月31日
弁護士 坂本博之 (山猫)
(動物愛護を考える茨城県民ネットワーク(NPO法人申請中)理事)
1 はじめに
本年5月13日、東京地裁立川支部で、加藤一二三氏が、自ら所有するタウンハウス(区分所有法の対象となっている)の一角で、複数の猫に継続して餌やりをを行い、糞尿による被害を生じさせたとして、他の区分所有者から損害賠償請求を受けていた事件で、東京地裁立川支部(裁判長市川正巳氏)によって、加藤氏に対して餌やり禁止及び損害賠償を命ずる判決が出された。
この判決は、いくつかの点で大きな問題点を抱えていると思われる。以下に、私が考えた問題点のいくつかを述べたい。
2 本判決の内容
この訴訟は、①本件タウンハウス管理団体(以下「団体原告」という)が管理規約に基づき、管理規約違反行為としての餌やりの差止を求める、②本件タウンハウスの他の所有者ら(以下「個人原告ら」という)が人格権に基づき、餌やりの差止を求める、③団体原告及び個人原告らが、不法行為に基づき、慰謝料及び弁護士費用の支払を求める、という3つの請求から成っている。
この判決は、加藤氏の野良猫に対する関係を、餌やりをしていることや専用庭に凍死しないように段ボール箱やバスタオルを置いていることを捉えて、「飼育しているものと認めるべきである」と認定し、その点で管理規約に違反しているとして、団体原告の餌やり差止を認めた。また、個人原告らに対する餌やりの被害も続いていると述べ、飼育の程度に達していないものを含め、受忍限度を超える人格権侵害があったとして、餌やり差止を認めた。そして、加藤氏の餌やり行為は、現在に至るまで受忍限度を超える違法なものであり、不法行為責任を認めた。
3 本判決の問題点
本件判決には、以下のような問題点があると思われる。
(1) 野良猫を「飼育している猫」との強引な認定
本判決は、加藤氏が餌やりをしていた野良猫を「飼育していた」という強引な認定を行うことから出発する。この点を認めなければ、管理規約違反ということを認めがたかったからではないかと思われる。
本判決は、上記のとおり、単に餌やりをしていたということにとどまらず、加藤氏が自らの専用庭に凍死防止のために段ボール箱やバスタオル等を置いていたことを捉えて「飼育の域に達していた」としている。
しかし、猫を飼育しているというのは、当該猫を全般的に、飼主の監督下においておくことをいうと考えるべきである。本件のように冬場に寝所を提供する程度なら、春~秋の期間は(冬場も昼間は同様である)猫の自由にさせておくということであり、到底全般的に飼主の監督下に置いているとは到底いえない。ツバメに巣箱を提供していても、そのツバメを飼育していると考える人はいない。
(2) 人格権侵害認定及び因果関係認定の甘さ
次に、本判決は、主に糞尿の被害を捉えて、個人原告らに受忍限度を超える人格権侵害があると認めているようである。しかし、この判決は、「人格権侵害」を述べている箇所で、実は、個人原告らにどのような人格権侵害があるのかということを明確に述べていない。別の箇所で「餌やり行為による被害」ということを述べている箇所があるが、その中には、自動車に傷がつくとか、庭木や植木鉢が壊されるとかといった、人格権と関係のない項目も挙げられている。また、そこでは、「夜間などは、猫の眼光の薄気味悪さから、恐怖感を感じる」などという、猫という動物の本来持っている性質に対する一部の人間の一方的な嫌悪感にしか過ぎないものが「被害」として取り上げられている(この点は、「アラブ人のひげ面が薄気味悪い」というのを正当な被害と認定しているようなものである)。本判決は、一体何が人格権侵害なのか、それがどうして受忍限度を超えるのかという点について、明確に述べられていないのである。
また、本判決は、それらの「被害」が加藤氏の「飼育している」猫によるものであると明確に述べられていない。それから、それらの「被害」が加藤氏が猫を「飼育している」から発生したのか(加藤氏が「飼育して」いなかったら発生しなかったのか)という点について、明確に述べられていない。
即ち、この判決は、差止や不法行為責任を認める前提としての、被害の発生や行為と被害との因果関係の認定について、非常に甘いといわざるを得ない。
(3) 野良猫に対する配慮の欠如
さらに問題なのは、野良猫に対する配慮の欠如である。この点は、加藤氏の餌やり行為を人格権侵害行為ないし不法行為責任を認める上での加害行為として認定したことの問題でもある。
本判決は、野良猫を単に邪魔な物、迷惑な物としてしか見ていない。野良猫は、尊重されるべき生命を持った生き物であること、生活していくうえで必ず食べ物や生活場所が必要としていること、さらに、野良猫は人間によって身勝手に捨てられた被害者であることに思い至っていない。
本判決は、加藤氏に餌やりを禁じ、また餌やり行為を受忍限度を超える人格権侵害としているが、転じて、餌を与えられなくなった野良猫たちは、その後、どのような末路を辿ることになるか、分かっているのであろうか?この野良猫たちが飢えて衰弱して行き、悲惨な死を迎えることをどの程度認識しているのであろうか?それとも、この猫たちはどこか別の場所に行っちゃえばいい、という程度の浅薄な考えしか持っていないのであろうか?
本判決は、本判決自体が動物愛護法44条2項違反行為を命じていると誤解されるおそれがあるとして、主文で命じていることは「飼い猫の域に達している猫については、本件土地及び本件区分建物内での猫の飼育をしてはならないことを命じているものである」などと述べて逃げを打っている。しかし、本判決は、別の箇所では飼い猫の域に達していないものに対する餌やりも含めて個人原告らの人格権を侵害するものであったと認めている。また、加藤氏の餌やり行為が個人原告らの人格権侵害となるというのであれば、それは、本件土地等の内部で行おうと、その外部で行おうと、同じく人格権侵害となるはずである(本件土地等の直近で行えば、猫たちは生活場所の移動はしなくても済むと思われるので、個人原告らに対して同じような「被害」が発生するはずであるから)。詰まるところ、本判決は、本件建物等の内外を問わず、この野良猫たちに対する餌やりを違法と言っているのであるから、餌やりをするなと命じているものに他ならない。この判決を書いた市川氏ら3名の裁判官は、「飼い猫」と認めた猫に対して餌やりをするなといっていることになるから、その行為は、自ら心配しているとおり、動物愛護法44条2項違反行為についての教唆罪を構成するものと解される。
野良猫に対して餌をやり、寒さから身を守る場所を与えることは、動物愛護法の趣旨にも適うことであり、また、野良猫に対する果たさなければならない人間の責任でもある。
(4) 地域猫活動に対する配慮の欠如
人間は、野良猫との共生を考えていかなければならない。野良猫に対して、避妊去勢をした上、餌やりをしたり糞尿の処理をするなどして一代限りの生命を尊重し、地域として管理を行うという、地域猫の活動は、野良猫と人間とが共生をしていく上で非常に重要である。地域猫活動を開始し、展開することは、違法と解されてはならない。
加藤氏は、自ら地域猫活動を開始していたのであり、仮にそこに不十分なものがあったとしても、その点は評価されるべきであったと思われる。
本判決は、加藤氏の活動が地域猫活動の趣旨に一定程度沿ったものであることは認められるとしながらも、その後は、その活動が不十分であったことをあげつらうだけに終始し、その活動の意味や、その活動が挙げた成果について、全く評価がなされていない。むしろ、加藤氏が真摯に地域猫活動を続けてきた上で餌やりを行ってきたことは、何ら違法と評価されるいわれはないものと思われる。
一方、本判決は、原告らの落ち度と考えられる点について、口をつぐんでいる。即ち、原告らは、猫による被害を縷々述べているだけであり、逆に、野良猫とどのように共生していくべきか、野良猫に対して、その生を尊重した上でどのように対処していけばいいのかという点について、真摯な行動をとったということは窺われない。猫が苦手な人、猫が嫌いな人は、単に「苦手だ」「嫌いだ」と言っていればいいのではない。苦手なら苦手なりに、嫌いであっても嫌いなりに、厳然と存在する猫たちとの共生を考えなければならないはずである。ドイツ人が「ユダヤ人は嫌いだ」と言ってゲットーに押し込めてしまうこと、イスラエル人が「パレスチナ人は嫌いだ」と言ってガザに押し込めてしまうことが許されないのと同様である。
4 結び
この判決は、全国で地域猫活動、猫のTNR活動を行っている団体や人たちに大きな負の影響を与える可能性があると思われる。この判決の「野良猫に対して餌やり禁止が裁判所によって認められた」ということだけが一人歩きしてしまうことが懸念される。
しかし、本判決には、様々な問題点があり、控訴審でも十分に戦えたのではないかと思われる。