9日、10日と南相馬に入りました。
たった二日なのに1年も経ったように感じます。
見たこと、聞いたことが、自分のなかでまだ消化しきれておらず、報告もできずにいました。いろいろなことが押し寄せて、TNRで気持ちよく体を動かした後の爽やかな疲労感とはまったく違う疲れです。
でも、現地で居合わせた皆さんとは協力し合ってよく働きました。
普段は活動場所も異なり、いっしょに作業することはまずありません。
しかし南相馬では、捕獲器もケージも水も容器も、気持ちよく貸し借りし合い、携帯番号を交換し合い、情報交換もスムーズに行いました。
「あのわんちゃんがいないんだけどどうなった?」
「100m南に離れたところに来てますよ」
「保健所は5時に閉まるから早めに戻ってくださいね」
「どこになるのですか?」
「駅の向こう側」
「間違えて駅の向こうに行ったら、泥の海に自動車が何台も突き刺さったままの風景が広がって、引き込まれるように迷い込んで行ってしまった」
「釘を踏んでパンクすることもあるから、あっちには行かないようにね」
だれが仲間でだれがそうでないかなんて関係なく、気持ちよく働きました。
団体の垣根を越えての協働作業はめずらしいと思います。
戻ってからもずっと情報交換しています。
「あれから秋田犬はどうなりました?」
「あの秋田犬は翌日に軽トラックで保護できました~今、我が家の庭で吠えてますよ」
(八王子から、秋田犬の飼育に慣れているボランティアの青年が来て、首輪をしてリードを付けるところまでは成功したのでした。

が、どうしてもバリケンに入ってくれなくて、いったんあきらめて帰ったところ、翌日には軽トラで保護できたとのこと。これを聞いてほっと安堵しました。)
ああ、いろいろなことがあった。
* * *
4月9日、朝7時につくばを出発し、岩瀬から北関東道に入り、宇都宮から東北自動車道にのりました。
捕獲器、バリケン、キャリーバッグ、折りたたみ式ケージ大中(保護した犬猫を連れ帰るため)や支援物資のフードなどをいっぱいに積んで走り出しました。
11時過ぎに二本松を下りました。
途中、道に迷い、地図と首っ引きでなんとか行き着いたのですが、あとで地元の人に言われました。「その山道のルート62は崖の細い砂利道で、危険だからふだんから誰も通らないんですよ、特に地震のあとは。熊も出るし、圏外で携帯も通じない。先日も落石でイノシイが3頭つぶれていたんですから。そんなところを通ってきたなんて!」と驚かれました。
道が下りになり、少しずつ広がってアスファルトとなり、ダムが見えてきたときには、ようやく助かったと安堵しました。ダムの向こうはすぐ南相馬の駅です。南相馬のホテルでとんさんと待ち合わせでした。到着したのは13時を回っていました。
何度か南相馬にレスキューに入ったことのある団体さんといっしょでした。
皆さん身支度をしたりトイレを済ませたりしているところで、私も急いで、ゴーグル、レインコート、二重マスク、帽子、軍手、ビニール手袋、長靴、といった出で立ちになり、出発しました。放射能を含んだ雨が朝からずっと降り続いていました。
福島と埼玉のボランティアさんととんさんいっしょに、民家の納屋で猫の保護にトライ。
この日は2匹しか捕まらなかった。

~エサも水も不十分なまま放置されたチャボ~ ~猫の通り道に仕掛ける捕獲器~
~ご寄付の物資。帰りにたっぷり置きエサ~ ~ホテルへ帰る前に捕獲器を何台か仕掛けて~

~宿の前で会った犬連れの人~
「おれは原発でずっと働いてきた。絶対ガンになる、これは間違いない。
おれも胃癌やったんだ」

~福島のボランティアさんと捕獲した猫さん2匹は車のなかで就寝~
夕食は、持参したおにぎりとインスタントスープで済ませました。

~ホテルでの朝食。久しぶりの納豆~ ~ホテルの窓から。一見ふだん通りの風景~
民家の猫ハウス。猫用の布団が敷いてあります。ボランティアさんがたっぷりフードを置いてくれていました。ここでも捕獲器を仕掛けました。

かかる子はみんな、シャムmixの美人猫さん。

鎖をはずされた秋田犬。なつっこいけれどいきなり唸って凶暴になるので要注意です。
人恋しくて寄ってくるのが哀れ。

見事なしだれ桜がもうすぐ開花します。ご先祖様はこの福島の惨状になんとおっしゃるだろう。

水がなくて死んでしまっていたヒヨコ。とんさんと、花を摘んでいっしょに埋めました。
亡くなって楽になってよかったね、と涙のとんさん。

散乱するレンガは元は煙突だったようです。レンガをよけて捕獲器を仕掛けます。

きみたちもエサと水に困ってるね。連れて帰ってあげたいね。
結局、私たちはチャボや鶏を6羽連れて帰り、日本捨猫防止会東久留米の岩崎さんを通して、坂戸のお寺さんにお預けすることになりました。
(もちろん私たちの連絡先を書いた「保護してます」の貼り紙をしてあります。
南相馬の保健所、警察署、市役所にも連絡済みです。)
)

チャボの捕獲には人猫共生会議のSさんが大活躍でした。かつての飼育委員だったSさんは、狭い鶏小屋に自ら入り、両手で鶏の腹と羽根をくるむようにしっかり捕まえて下さったのでした。
Sさんのすばらしい身のこなしで次々と鶏はケージに移されて、最後に残った雄鳥もついに観念し捕獲されました!
チャボは、帰宅したその夜のうちに東久留米から岩崎さんがつくばまで車でお迎えに来て下さって、坂戸のお寺さんに移動しました。
お寺の先住雄鳥と翌日バトルし、福島の若い雄鳥のほうが勝利してボスの座を射止めたとの報告がありました。
~捕まらなかった子のために置きエサを~
生き延びてね、なんとか。。。

~誰もいない町、音のない空間に、信号だけが点滅する。痩せた猫が通りを横切るだけ。 小高町~

営業中の札が下がったまま、無人の美容院、喫茶店...。
駅前に古風な丸太小屋風の珈琲店がありました。
レスキューでない、ただの旅の機会にぜひ立ち寄ってみたいな、と思ってふと気付きました。
もう二度と開店しないのだと。

東京のボランティアのSさん、捕獲のプロです。
駅の周辺でたったひとりで猫のレスキューにトライされていました。


白猫が道を横切りました。車を降りてみても、隠れてしまって捕まらないので置きエサをしました。飼い主さんはまだこの家のなかにいらっしゃるかもしれない。
助けてさしあげられなくてごめんなさい。何度も手を合わせました。
隣人の救出すら叶わずに住民が町を捨てざるを得なかった、この悲惨な情景は、忘れてはなりません。
いきなり断絶された日常。
農家では、土の準備が始まっていました。
どの家にも春蒔きの畑野菜の支度が。
洗濯物が干されたままで。
ひょいと出かけてくるからね、2~3日ですぐ戻るから、と飼い犬猫や鶏に声をかけて出て行ったのかどうか。
これは現実の世界なんだ。夢でなく。

この日はとんさんと7匹を保護しました。 どうしても捕まらなかった恐がりわんちゃんの家。
ごめん。もう帰りの時間。また来ると約束できない。
あっという間に3時です。

~保健所でスクリーニング~

17キロ地点あたりで約8時間、屋外で作業をしていました。
私の放出していた放射線量は1.2kcpmでした。
とんさんは0.8kcpmです。
これから乳癌などの定期検診はしっかりやらないと!と思います。
5~10年後までは潜伏期間になるでしょうが、そのあとはリスクも高くなるといいます。
すべて承知のうえで入ったのですから。

心配なのは若い人たちです。20代くらいの青年もいました。
これからお子さんをつくる方は来てはいけません。
(CAPIN会員の若手も来たがっていますが、だめよと言っています。)
本当は、どなたにも来て欲しくないのですが。
(ご一緒したとんさんは70代。私とは運命共同体ですね、ほんとうにごめんなさい。
そしてありがとうございます。)

このたびは猫の代理人さん、アニマルフレンドシップさん、人猫共生連さんから参加された皆様に大変お世話になり、活動をさせて頂きました。
皆さんきびきびと、よく働きたくさんのわんちゃん猫ちゃんを保護されていました。
捕獲器の数も、それを積めるほどに大きな車も、さすが東京・神奈川の愛護団体さんです。
学ぶことの多い2日でした。この場を借りて厚くお礼申し上げます。
残された犬猫がまだまだいることに、そして、福島県の皆さんが置かれたこの状況に、どうしようもない悲しみと自分の無力さを感じます。
福島で起きてしまったこの原発事故を、どこかよその土地で繰り返すことは許されないことだと思います。
私たちの子どもたちに対して、地球に対して、大人は責任を取らねばなりません。
今回、海と山に囲まれた福島浜通りの、本来は豊かな土地を、人間の奢りと過信、経済優先によって、この先数百年にわたって放射能で汚してしまったことの反省をしなければなりません。
そのためには過去にさかのぼって責任の所在を明らかにするべきだと思います。
国も、東電もですが、私は学者の責任が大きいと思います。
そして、声をあげないで黙っている国民にも責任があります。
いまからでもやり直せる、遅くはないと思うのです。