原発事故、そして見捨てられた警戒区域の被災動物について、イタリアTV局の取材を受けました。
カメラを回すための場所を探して上野公園を私たちはうろつきました。
「この国にはベンチがないね。人々が集まって情報を交換したり大切な話を分かち合うように作られていないよ、この国は。なぜだと思う?民主主義をつぶすためだ。
集会をやるったって、広い場所がない。せいぜい1~2万の規模しか集まらないじゃないか。だめだねえ。。。」
震災をきっかけにいろんなことが明るみに出ました。
東電と保安員によるリスクの徹底した過小評価。
2ヶ月遅れの飯舘村計画避難。
流通する被曝食材。
踏みにじられた子どもたちの未来。
いまだなおまかり通る「安全神話」。
政官財の癒着。
最優先させるべきは徹底した情報公開と、さらなる被害者を最小限に食い止めること。
こうやっているいまも、フクシマの子どもたちは...。
福島に入るたびに、マスクもしないで登下校する、輝く目をして将来ある小さな人たちを目にします。
検査と避難を。
原発事故の全体像や原因に触れた記事は少数です。どこも統制がかけられて。
これは、この国の精神面での貧しさにほかなりません。
「ジャーナリストとは何か?それはビジネスのマネージャーでもなければ、出版社でも、資本家でもない。ジャーナリストは、国という船の舟橋に立つ見張り人である。
彼は、好天のとき、水平線の小さな点のような小さなことにも目を配り、航海を記録する。
彼は、救助することができる漂流中の難破船を見つける。
彼は霧や嵐のなかでじっと目を凝らして見つめ、前途にある危険に警告を発する。
彼は雇い主の利益自らの賃金について考えることはない。
彼を信頼している民衆の安全と福祉について見張るためにそこにいるのだ。」
(ジョセフ・ピューリツァーの言葉より)
久しぶりに、船の見張りのジャーナリストに会いました。
イタリアに伝えてほしいです。この国で何が進行しているかを。
私たちは渦中にいて、怒りとあきらめの狭間に揺れている。